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検察のリーク。
今に始まったことではありません。
自民党が政権にあった時代だって「存分」にリークが行い、
狙い澄ました対象人物の悪印象を人々に植え付け、まさに熟柿が落ちるような頃合いを見計らって逮捕する。

そんなことを繰り返してきました。


本日は社民党前代議士 保坂展人氏のブログ「保坂展人のどこどこ日記」2010年01月20日の記事を転載し、
そんな歴史を振り返ってみようとおもいます。

保坂展人のどこどこ日記

検察リーク」に指揮権発動も(高辻法相)

メディア / 2010年01月20日

 民主党が「検察リーク」を対象に調査・検討を始めるという。与党・自民党からは「とんでもない」と批判の声があがっているが、野党ボケ半年間で、はや健忘症になったのか。かつての自民党こそ「検察リーク」のひとつひとつに怒り、感情をあらわにして、対応していた歴史を知らないのか。(1998年「検察の情報管理のあり方に関する調査会」与謝野馨本部長)自民党の「検察リーク」批判を調査し、紹介したのは昨年の西松建設事件の渦中だった。国会の会議録からは、故新井将敬議員の質問に対して、高辻法務大臣は「検察リークは指揮権発動もありえる」とまで断言している。現在、千葉景子法務大臣が同じ発言をしたら、勉強不足のメディアは「前代未聞の暴言」と批判することだろう。

 昨年は『日刊ゲンダイ』にこのエピソードを紹介する記事が載った。

〔引用開始〕

社民党衆院議員保坂展人氏が語る (日刊ゲンダイ 2009/04/01)

89年4月の衆院予算委員会で、自民党の新井将敬氏衆院議員(故人)が高辻正己法相に検察ファッショについてこう尋ねています。

「検察が民主的な行政的な手続きを経ないで、直接的に、例えばマスコミに働きかけたりして、自分たちの目的を有効に持っていこう、そういう状態を検察ファッショというふうに理解していいのか」

これに対して、高辻法相は「特定の政治目的のために検察権が乱用されたときというのは、ご指摘のような場合がまさにそれにあたると思います」と答弁。さらに、そういう場合は、大臣が検察に対する指示、つまり、指揮権を発動することもあり得ると言っているんですね。

当時はリクルート事件が吹き荒れていて、竹下首相の疑惑などが連日、報じられた。こうしたリーク報道に対し、自民党は「けしからん」と言い続けてきました。98年には検察の情報管理のあり方を検討する調査会まで作っています。当時の自民党の広報本部長は与謝野大臣で、「現場の検察官がしゃべるのは国家公務員の守秘義務違反である」と明言されている。

■過去を忘れた自民党の身勝手

さて、民主党の小沢代表の秘書逮捕後の新聞報道はどうでしょうか。明らかに検察サイドから出たと思われる情報があふれています。小沢さんの元秘書である石川知裕衆院議員への事情聴取の前打ち報道などは典型です。

これこそ高辻法相の認めた「検察ファッショ」ではないのか。リーク情報を批判していたのは、ほかならぬ自民党ではないか。ですから、先月11日の法務委員会で、森法相は「(高辻発言を)そういうことだろう」と言いつつ、「指揮権発動には慎重であるべきだ」と答えましたが、メディアに「小沢氏の元秘書、事情聴取へ」とかやられれば、世間は「よっぽど悪いことをしたのではないか」と思ってしまう。「犯人」扱い報道があふれている状況です。

それでなくても、検察は小沢氏の秘書逮捕の前に検察首脳会議を開いていない可能性がある。首脳会議を開いていれば、法務省の刑事局幹部が出席するので、秘書逮捕の情報を知り得るのですが、法務省がそれを知ったのは逮捕直前と聞いています。

ふつうはあり得ないことで、ここに検察の“消極的政治性”を感じます。検察が政権交代を潰そうとしたとは思わない。しかし、野党だからと慎重さを欠いた部分はあると思う。積極的な政治目的はないにせよ、結果としての野党潰しに躊躇(ちゅうちょ)しない。

しかも、こうしたことを批判すべきメディアは、出入り禁止というペナルティーが怖くて、なかなか真相を書けない。検察が情報を左右する現状では、裁判員制度も時期尚早と言わざるを得ません。

(日刊ゲンダイ 2009/04/01 掲載)  

[引用終了]

 読者の中には、この記事が1年前のものとは思えないという方もいるだろう。「検察リーク」はありえないというのが建前だ。しかし、現実は虚偽情報も含めて新聞・テレビの情報は「検察リーク」に支配されている。かつての自民党は、この手法は違法であって「国家公務員の守秘義務違反」だと捜査とメディアのあり方について厳しい検討を始めるという姿勢をみせて、法務・検察をあわてさせた。

 1998年と言えば、まだ12年前である。政治部デスクは、永田町の取材を始めていたことだろう。この事実をなぜ、新聞に書かないのか。「検察リーク」に全面的に依存する報道姿勢が後ろめたいからなのか。少なくとも民主党が「検察リーク」を問題にするという動きをみせた時に「かつての自民党も同様の調査会をつくり、古くて新しい問題だ」と解説するぐらいの度量はほしい。 

(平成21 年03 月11 日 衆議院法務委員会 会議録)

 ○保坂委員 次に、きょうは、細川先生、山田先生からもお話がありました、捜査情報の問題について森大臣にちょっと伺いたいんです。

 これは古くて新しい議論でございまして、例えば、現場の検察官がしゃべるのは国家公務員の守秘義務違反である、これはAさんという方。それから、Bさんという方は、リークというのは公務上知り得た捜査上の秘密を漏らすことです、職務上知り得た事実を漏らした者は厳重に処罰されることになっております、これはBさんという方です。実は、このAさんという方は与謝野さんなんですね。ちょうど、一九九八年の六月六日、自民党の広報本部長をされていて、Bさんという方は杉浦正健元大臣なんですね。

 実は、当時自民党では役員連絡会で、これは九八年六月六日の新聞ですが、検察の捜査情報の漏えいで国会議員の名誉が傷つけられているのは問題だとして、検察の情報管理のあり方を検討する調査会を党内に設置することを決めた、起訴されるかどうかがはっきりしない段階での国会議員の疑惑が報道されることへの反発が強く、問題点の整理や国会での監視のあり方を論議していく方針だということなんですが、当時どのような議論をされたか、大臣、覚えていらっしゃるでしょうか。

○森国務大臣 私は、はっきり記憶しておりません。

○保坂委員 それでは、佐藤剛男副大臣、どうでしょうか。この分野でいろいろ、法務委員会も長かったと思うんですが、このときの議論ですね。九八年、当時、大蔵汚職とかたくさんの事件があって、日本も相当不況に陥った。このリークをめぐって自民党で調査会が持たれた。どんな議論が当時党内でされたのかというのを御記憶の範囲でお願いしたいと思います。

○佐藤副大臣 当時の事情は定かでございません。

○保坂委員 あれはまだ十年前のことなので、お二人とも御活躍されていた当時なので……(発言する者あり)こちらの笹川先生はよく覚えていらっしゃるみたいですが。とにかく、ちょっと攻守所が変わったなという印象を持つんですね、いろいろ資料を見ると。昔、検察のことで、リークだ、いかぬと言っていたのは主に自民党なんです。この三年ぐらいは野党なんですね、どっちかというと。

 それで、伺っていきたいんですけれども、実は、今度は二十年前になりますが、当時、リクルート事件で、亡くなった新井将敬さんが当時の高辻法務大臣に聞いているんです。

 高辻法務大臣は、実はこれもいろいろリーク報道の問題とか、リクルート事件でも自民党側からも声が上がっているんですが、そんなことはないと思うというふうに委員会で答えながら、こんなことをおっしゃっているんですね。要するに、検察が検察権を行使しない場合、それからもう一つは、検察ファッショと言われるような場合にはいわゆる指揮権の発動も考えるということを、これは八九年、今から二十年前の四月の予算委員会で述べていらっしゃいます。

 亡くなった新井委員が、「検察というものが、民主的な、行政的な手続を経ないで、直接的に例えばマスコミに働きかけたり、そういう形で裁きあるいは自分たちの目的を有効に持っていこう、そういう状態を検察ファッショというふうに理解してよろしいでしょうか。」と言うのに対して、高辻大臣は、「特定の政治目的のために検察権が乱用されたときというのは、御指摘のような場合がまさにそれに当たると思います。」と言って、こういう場合には指揮権の発動を促すことに結果としてなるというふうにおっしゃっているんですが、この二十年前の法務大臣の見解と今の森大臣の見解はどうでしょうか、変わりありませんか。

○森国務大臣 そういうことだろうと思いますけれども、私は、やはり原則として、指揮権の行使というのはよくよく慎重であるべきであって、個別の事案について私は考えたこともありませんし、これまで一切行使しようと思ったこともありません。

○保坂委員 ぜひ大臣、副大臣、政務官も、自民党で十年前にこの調査会がつくられて、どういう議論だったか、お二人ともちょっと記憶にないということなんですけれども、ぜひ思い出していただいて、どういう議論だったか、次の機会に聞かせていただきたいと思います。

〔引用終了〕

 昨年春も「忘れました」「記憶にありません」と健忘症を装った答弁をくり返していた自民党が、今回は「検察リーク」と一体化して「疑惑解明」を叫ぶ。大人の政治家なら、与野党かかわりなく「検察リーク」を俎上に乗せた冷静な議論をすべきではないか。裁判の判決報道は一度きりで、事件から年月も経過していて社会的影響力は限られている。しか捜査の入口で、「検察リーク」を連発し「犯罪報道」で新聞の社会面やテレビ報道を埋めつくすことで、「悪」の印象は形作られる。

 裁判員制度が生まれて、「検察リーク」は抑制されるはずで、メディアも「犯人扱い報道」を律するというように聞いていた。以前にまして「花盛り」の現状を見ると、「検察リーク」は、「特捜部の印籠」があれば、正義のために国家公務員の守秘義務など畏れるに足らずという姿勢にますます拍車がかかり、メディアはその提灯の数と光量を競うという醜悪な光景がくり返されている。


保坂展人のどこどこ日記
(http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto)



今日は伊丹万作氏(伊丹十三氏の父君)の「戦争責任者の問題」を掲載します。

現在主要メディアは検察からのリーク報道によって、
検察の思い通りとなるような内容を掲載し世論を一定方向へ誘導している、と小生は現状を見ています。

私たちがこの報道の思う方向に動き、様々なアクションを行い、小沢氏も民主党も、
もちろん現政権も瓦解し・・・・・た後に
検察やこれらの報道が「誤りであった」ことが判明したとしましょう。

そのような状況ではおそらく
「騙された!検察にやられた!マスコミにしてやられた!」と叫び、
それに乗せられてしまった責任はおそらくまったく考えない・・・・だろうと予想します。
小生自身そう叫び、自分の責任はまったく考えないだろうな、恥ずかしながら、と予想します。

さて伊丹氏の文章、時代・主題は「検察リーク」問題にはまったく関係ありませんが、
こんな小生のような「情報の受け手」にとって極めて普遍的な問題を示唆していると考えます。
全文は長いのでカットして掲載いたします。


戦争責任者の問題(抄)
伊丹万作


<~前略~>

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。

 たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。

 つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

 このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。

 それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(せいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。


<~後略~>

 (四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)

名フィルの1月定期、所用が入ってしまい行けなかったんですよね。
チケットは友人に進呈し、細君と一緒に行ってもらいました。
O君ありがとね。感想メールも感謝です。


さて「検察リーク」問題を考えるために。
昨日に続き岩上安身さんのHPから郷原信郎氏緊急取材です。
昨日は1でしたが、本日は2と3です。



彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。




だからわたしは、微力だが、できるかぎり声をあげつづける。



以下が転載記事です。

検察とマスコミは、すみやかに「正常化」を~郷原信郎弁護士緊急取材2
政治
No. 203
2010-01-21 (Thu) 00:44


「検察主義の国会議員逮捕」


名城大学教授・弁護士 郷原信郎

 小沢一郎・民主党幹事長が16日の党大会で行った事件の説明だけでは、疑惑が晴れたとは言い難い。小沢氏は、土地購入資金は土地購入の約6年前に信託銀行から引き出して自宅に保管していた父親の遺産と説明しが、遺産相続のこと、相続後の経過、現金化した目的などもっと詳しく説明しなければ、国民が納得できる説明とは言えない。

 一方で、現職の国会議員を国会召集の3日前に逮捕した検察の捜査の方にも大きな問題がある。小沢氏が自宅を購入した4億円の出所に問題があるという報道があるが、収入・支出の総額が過少だったというだけで、具体的にいかなる支出・収入が記載されていなかったのかが特定されていない。疑われている事実を特定すらしないようなでは、国会議員の逮捕許諾請求は困難だったと思われる。

 代表者の政治家による資金団体の経費の立て替えなどをどこまで収支報告書に記載するかで、収入・支出の総額はいかようにも変わり得る。その処理方法の話を収入・支出の総額の虚偽記入だとして国会議員を逮捕できるとすれば、検察はどんな政治家も逮捕できることになる。それは、検察が国会以上の強大な政治的権力を持つことになり、民主主義の崩壊を招きかねない。

 そもそも職務権限や時効の問題があって、収賄、談合、脱税など政治資金規正法以外での立件は考えにくい。水谷建設が国発注のダムの工事受注の謝礼として5000万円を小沢氏側に渡したと社長が供述していると報道されており、それが今後の捜査の最大のポイントになっているようだが、その社長の贈賄供述で立件された佐藤前福島県知事の汚職事件の控訴審判決で「賄賂額はゼロ」とする実質的に無罪に近い判断が示されている。また、脱税で実刑判決を受けて受刑中であること、仮釈放欲しさに検察に迎合する動機も十分にあることなどから今回の一連の事件の核心の供述として扱うのは危険だ

検察とマスコミは、すみやかに「正常化」を~郷原信郎弁護士緊急取材3
政治
No. 204
2010-01-21 (Thu) 00:45


「小沢VS検察」ではなく「石川議員逮捕」こそが最大の問題


名城大学教授・弁護士 郷原信郎

 2010年1月15日午後10時、北海道11区選出の石川知裕衆議院議員は、東京地検特捜部に逮捕された。第174回通常国会開会の3日前だった。
戦後日本で初めて、国民の選択によって、民主党中心の連立政権が誕生し、政務三役への権限の集中、官僚答弁の禁止など従来の官僚主導から政治主導へ中央省庁が大きく改革された。従来、官僚だけで密室で行われていた予算編成も、事業仕分けという形で、公開の場で市民の参加の下で行われ、1兆8000億円に上る無駄の削減が行われるなど、日本の政治に劇的な変化が起きた。しかし、それによって編成された予算を審議する場である通常国会に、石川議員が北海道11区の有権者の代表として参加することはできなくなった。

 国会議員には憲法によって不逮捕特権が与えられており、会期中は議院の許諾がなければ逮捕されない。会期外で逮捕された場合でも、議院の釈放要求決議あれば釈放される。

 それだけに、従来から検察は国会議員の逮捕については慎重な取り扱いをしてきた。政治とカネを巡る問題では1976年のロッキード事件での田中角栄衆議院議員の逮捕以降、10年にわたって国会議員の摘発はなく、久々の国会議員の収賄事件となった1986年の撚糸工連事件、1988年の砂利船汚職事件でも、逮捕は見送られ、任意聴取の後在宅起訴された。そして、8年後の1994年にゼネコン汚職事件で中村喜四郎衆議院議員が逮捕許諾請求の上逮捕されてから、5人の国会議員が逮捕されたが、いずれも、罪名は収賄か、又は裏献金の不記載等の重大・悪質な政治資金規正法違反事件だった。

 ところが、今回、石川議員は、前回の選挙で衆議院議員になる前に民主党小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の会計担当者をしていた当時の政治資金の処理手続に関する容疑で、通常国会の開会の3日前という時期に逮捕された。

 そのような捜査手法が許されるのか、国会議員の活動に対する検察の介入の是非という観点から徹底的に議論されるのが当然であろう。しかし、マスコミの報道では、「石川議員の逮捕」の是非の問題はほとんど取り上げられず、小沢氏側が「検察と闘っていく」という姿勢をとっていること、鳩山首相を含め民主党がそのような小沢氏を支持していることの是非ばかりが取り上げられ、国民の関心も、小沢氏の聴取がいつ行われるのか、検察は小沢氏を逮捕するのか、などの点に集中している。

 今回の容疑事実は、現職の国会議員を国会開会直前に逮捕することを正当化するほどの重大なものなのか。翌日の取調べを待たないで逮捕する事情があったのか、逮捕容疑と逮捕に至る経過を見ると、そこには、重大な問題が浮かび上がってくる。


 まず、石川議員の逮捕容疑は、裁判官が発した逮捕状では、平成16年分の政治資金収支報告書の「収入総額」を4億円過少に、「支出総額」を3億5200万円過大に記入した虚偽記入の事実だ。

 政治資金規正法では、25条1項2号で政治資金収支報告書に「記載すべき事項を記載しなかった者」、3号で「虚偽の記入をした者」を罰則の対象としている。「収入総額」「支出総額」の欄は、その年の収入と支出を合計したものであり、記載すべき政治献金の収入が記載されていなかったとか、架空の経費が記載されていた事実があれば、それに伴って収入や支出の総額が実際とは違うものになるのは当然だ。収入について過少に報告したということであれば、問題なのは、政治献金等の具体的な収入の記載が行われなかったことや実際より少なく記載されたという問題であって、収入総額の過少というのは、それに伴って当然生じるものに過ぎない。

 ところが、今回の石川議員の逮捕の容疑となった被疑事実は、どのような収入・支出が不記載だったのかを特定しないで、全体として収入総額・支出総額が過少だったという政治資金規正法25条1項3号の虚偽記入の事実だけだ。要するに、石川議員が、政治資金収支報告書にどのような事項を記載しなかったのか、どのような不正を行ったのかは、逮捕事実では明らかにされていない。脱税の問題で言えば、どのような収入を隠したのか、どのような支出を架空に計上したのか、というのが犯罪事実の中心のはずなのに、そこが明らかにされないまま、収入の合計金額を少なく申告した、ということだけで逮捕されたようなものだ。

 資金管理団体は政治家にとって「政治資金の財布」の役割を果たすものだ。自らの資金管理団体の人件費、事務所費等の経費が不足すれば、代表者の政治家が立て替えるのは当然だ。このような立て替えやその返済も、政治資金規正法上の「収入及び支出」に当たると考え、すべて収支報告書に記載しなければならないとすると、立替えが多い政治家の「収入総額」「支出総額」の記載は、実際の政治活動に係る収支を反映しないものとなる。それが、果たして、「政治活動が誰から、どの企業・団体から資金提供によって賄われ、それがどのように使われているのか」、を国民にありのままに開示されることを目的とする政治資金規正法の趣旨に沿うものであろうか。

 政治家との間の立て替え、返済をどこまで収支報告書に記載するかで、いかようにも変わり得る「収入・支出の総額」についての虚偽記入で国会議員を逮捕できるとすれば、検察はどんな政治家も逮捕できることになる。それは、検察が国会以上の強大な政治的権力を持つことになり、民主主義の崩壊を招きかねない。

 しかも、さらに問題なのは、石川議員の逮捕事実がそのように不特定なものであることが新聞等ではまったく報じられていないことだ。ほとんどの新聞が、石川議員の逮捕について、見出しでは「4億円不記載」、記事では「4億円の収入と土地代金の支出を収支報告書に記載しなかった」などと、明かに25条1項2号の「不記載罪」の事実であるように書かれていることだ。

 実際には収入総額・支出総額の過少記載が逮捕事実なのに、なぜ4億円の「不記載」が逮捕事実のように報じられるのか。逮捕時の検察側の説明が、司法クラブの記者だけを集めて行われ、会見者である地検幹部の発言を直接見ることも聞くことができないので、まったく不明だ。

 今回、石川議員は、なぜ逮捕されたのかということを判断する上で最も重要な逮捕事実すら、国民に正確に伝えられないまま、身柄を拘束され、通常国会への出席を阻まれた。国会会期中であれば、国会議員の逮捕には逮捕許諾請求が必要となる。その場合、逮捕の容疑となった事実が具体的に特定され、明確な理由が示されない限り、許諾請求をすることはあり得なかったはずだ。今回のような容疑事実では許諾請求など到底できないので、国会開会直前に逮捕したのではないかと思わざるをえない。

 石川議員の逮捕前から行われている本件に関連する報道の中によると、今回の捜査の対象になっている中心的な事実は、水谷建設が国発注のダムの工事受注の謝礼として5000万円を小沢氏側に渡したと社長が供述していることのようだ。しかし、その事実が今回の陸山会をめぐる疑惑の核心であり、石川議員の逮捕もその事実の解明が目的だというのであれば、それが逮捕事実として明示されるのが当然である。それが行われず、収入総額の過少記載などという不特定の事実で逮捕されたのは、検察当局も、この5000の裏献金についての水谷建設の社長の供述の信用性を疑問視していて、その事実の立件は困難と考えているからではないか。

 供述の信用性に関する重要な問題の一つは、同社長の贈賄供述で立件された佐藤前福島県知事の汚職事件の判決の認定だ。知事の弟が経営する会社の所有する土地を時価より1億7000万円高く購入して「1億7000万円」の賄賂を供与したという事実で現職の知事が逮捕・起訴されたが、一審判決で賄賂額は7000万円に削られ、控訴審判決では「賄賂額はゼロ」という実質的に無罪に近い判断が示された。また、同社長が脱税で実刑判決を受けて受刑中であることからすると、仮釈放欲しさに検察に迎合する動機も十分にある。これらは同社長の供述の信用性に重大な問題があることを示すものであり、その供述を今回の一連の事件の核心的供述として扱うのは極めて危険だ。


 もう一つの問題は、通常国会開会の3日前の夜に石川議員らを急遽逮捕する理由があったのか否かである。
「石川議員の自殺の恐れがあった」「任意聴取を拒否した」などと報道されているが、これらはまったく事実とは異なる。石川氏を支援していたフォーラム神保町の緊急シンポジウムでの佐藤優氏の発言によると、石川氏は、1月14日に東京地検の任意聴取を受け、その夜は同じ北海道選出の衆議院議員の松木謙公氏の自宅に宿泊し、翌日も、佐藤氏と電話で連絡をとり、長時間にわたって話していたが、そのときの様子は至って元気であり、自殺の恐れなどまったくなかったとのことだ。また、次の聴取も翌日の午後1時から予定されており、聴取を拒否するつもりもまったくなかった。ところが、15日の夕刻になって、東京地検から午後8時に出頭するよう要請があり、その要請に応じて出頭したところ午後10時に逮捕された。

 このような経過から考えて、通常国会開会の直前に石川議員を逮捕する実質的な理由があったとは到底思えない。小沢氏の元秘書の逮捕を世の中に的にアピールし、今回の事件に対する国民の印象を小沢氏や石川議員の犯罪事実が明白であるように印象づけることが目的であったとすると、日本の民主主義を根底から揺るがす暴挙だと言わざるを得ない。

 しかし、一方で、検察との全面対決の姿勢を示している小沢一郎氏の側も、土地代金に充てたとされる4億円の資金の出所がマスコミ報道で問題にされ、国民に疑惑をもたれていたのであるから、もっと早い段階で十分な説明を行うべきであった。今回の検察の捜査が、その4億円についての疑惑を追い風に行われていることを考えれば、小沢氏は、まったくやましいことはないというのであれば、この疑惑について国民に対して納得できる説明を行って、異常な事態を一刻も早く収束させるべきだ。


 今、日本の議会制民主主義は重大な危機にさらされている。何より重要なことは、「小沢VS検察」というような構図に惑わされることなく、現職の国会議員が通常国会開会の3日前の逮捕という現実に起きた問題について、それがいかなる事実によるもので、どういう理由があったのかについて真相を明らかにすることだ。

民主党石川代議士が東京地検特捜部に逮捕されてからというもの、
マスコミには「関係者によると云々」という情報があふれかえっている。

様々な場で言われ始めていることだが「その関係者」って誰なのか?
捜査している機関しか知り得ない情報を書いている(たとえば、こんな供述をしたとか)ということからすると、
「関係者」とは捜査を担当している検察と考えるしかない。

捜査を担当している検察が捜査過程の事情を漏らすのはおかしくはないか?


この問題についての、こんな記事がありましたので全文転載いたします。
元記事は自民党河野太郎氏のメルマガ「ごまめの歯ぎしり 10年1月21日号-2」です。
(河野太郎氏のメルマガには
「レポートに掲載された記事は、全文を掲載する場合に限り転載・再配布できます。」
とあるので
ご厚意に甘えます)

......ごまめの歯ぎしり メールマガジン版......
       衆議院議員 河野太郎の国会日記
===========================================================
まず、個人的な感情を言わせてもらえれば、僕も政治家小沢一郎な
んかちゃんちゃらおかしいと思うし、その小沢一郎という人間を崇
め奉り、恐れ、ものを言わない、ものが言えない民主党という組織
は薄気味悪いと思う。

という前置きを書いた上で..

僕が法務省の副大臣をしていたときにホリエモン事件があった。
そのときにすごく気になったのが、XXXという供述をしていると
いうニュースが毎日のように新聞やテレビで流れたことだ。

なぜ取り調べの供述が外に漏れるのか、取り調べをした検事の責任
はどうなっているのかということを秘書官に調べさせた。
秘書官は検察庁にいくわけにはいかないから、法務省の幹部に副大
臣がこう言っていると聞きに行ったのだろう。

戻ってきた答えは『接見した弁護士が漏らしているのではないか』

僕はぶち切れた。

当時の杉浦法務大臣は、さらに検察の聞きたいような供述をすると
すぐに外に出られるけれど、そうでないとなかなか出られないとい
う状況もおかしいと、いくつかのことを検討させた。

そのうちに小泉内閣が総辞職した。

最近の石川某がこういう供述をしているという報道は、明らかにお
かしい。

日本の司法制度では、有罪が確定するまでは無罪である。被疑者の
段階で、あたかも被疑者が悪人であるというような世論を作らんが
為のリークを検察がするのは間違っている。(そんなリークをする
弁護士は懲戒の対象になるかもしれない)。
被疑者の人権問題になりかねない。

検察のリークがほしいマスコミは、まるで飼い主からえさをもらう
犬のように、飼い主には吠えず、ただ気に入られようとするあまり
にしっぽをちぎれんばかりに振ることになる。

検察のリークで紙面や番組を作っている新聞やテレビに検察批判が
できるのか。
検察がもし間違ったことをしたときに、マスコミがどれだけそれを
報道できるのか。

一部のマスコミはそれを報道の自由だという。接見した弁護士が漏
らしているという検察と同じではないか。今回の事件で、検察のリ
ークを批判し、検証したマスコミがあったか。
記者クラブなる既得権にしがみつき、取材対象となあなあになって
いるマスコミが報道の自由などという錦の御旗をふりかざすべきで
はない。

検察のリークがあったと思われる場合には、法務大臣が検事総長な
りに記者会見を開かせ、そうした事実があったかどうかを確認させ
るべきだ。もしそうした供述はなかったというならば、その後、裁
判でそれに反する供述は使えなくなるし、そうした供述があったと
いうならば、取り調べた検事が処罰されなければならない。

同様に、検察と闘えという首相も首相だが、首相補佐官や政務官の
一部が検察批判をしているのも議院内閣制に反する。文句があるな
らば、政府の職を辞していうべきだ。

法務副大臣時代に、裁判所から法務省に来た裁判官が、民事局長な
どの職に就き、入札ルールをねじ曲げて民事法務協会に業務を発注
しているのを見て唖然とした。官製談合をやっている人間が裁判官
として裁判所に戻るのだ。
しかも、ほとんどそうした問題を法務省の記者クラブは追及してこ
なかった。

裁判員制度が始まったことでもあるし、日本の司法制度をもう一度
きちんとあるべき姿にしていく必要がある。



小生は政権交代支持論者である。
しかし、この河野太郎氏の主張に関しては「前置き」の部分の一部を除いて
全面的に支持する。

せっかくの休日、おもいっきりエネルギッシュに活動しよう・・・と思ったのだが
風邪の影響のためだろうか、背中が冷えてたまらない。
背中・手・足の筋肉がこわばっていて、まるで熱があるときのように違和感がある。
でも熱を測っても平熱なんだよな・・・

ということで一日中げんなりとしながらおとなしく過ごす。


朝日新聞 「安保攻防 内閣の急所 普天間守勢の首相 『いつ結論』迫る自民」

毎日新聞 「自民 外交を追及 大島氏『普天間いつ結論出す』 首相『若干時間かかる 理解を』 民主 答弁に余裕」


これは昨日の予算委員会質疑に対しての見出し。同じ出来事を書いてこれである。
読み手が受ける印象はまるで違う見出し。どこに立ち位置をおいているかは一目瞭然。

各新聞社は「不偏不党」なんて愚かなことを行ってないで、
立ち位置を明確にして記事を書けばいいのにね、なんて妻と話しながら飯を食べる。


予算委員会やもちろん他の委員会も、所信表明も、本会議も
衆議院テレビで見ることができる。
今日はぐうたらしてたんで見た。体調悪いから本もまともに読んでられないし。

毎日と朝日の見出しは大島理森と首相の間のやりとりを表現したもの。
・・・・どこをどう見たら朝日の見出しになるんだ?と小生には感じられた。
あれを守勢というのか?ふう~~~~ん、ぽよん。といった感じである。
恥ずかしながら小生の家ではまだ新聞を購読していて、それが朝日なのだ。
高校野球も大嫌いだし、勘違い吹奏楽コンクールもあれだし、
もう朝日やめようかな、とマジメに思った。

予算委員会、なかなかおもしろく、加藤紘一と首相のやりとりなんかはあれはあれで一興であった。

余りに寒いので暖房機器「サンラメラ」を出した。
サンラメラで背中をあぶったら、すこぶる快調。
30分も風呂に入っても改善しなかった背中の冷えがとれた。
サンラメラは文字通りに「身体の芯」からあったまる。非常に優秀な暖房機だ。

これで明日は元気に仕事に行けるだろう・・・・って、だからこれは小生の生き方に反するのになあ。

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