2017 / 10
≪ 2017 / 09 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 - - - - 2017 / 11 ≫

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

いろいろと迷い、逡巡したが今回の名フィル聴取録を書く。

高橋源一郎氏のツィートを引用する。
有効と思われる情報をRTし、デマや煽動を避け、目にあまれば指摘し、きちんとした額の寄付金を準備し、ここ数日の異変で情緒不安定になっている子どもたちに、いつもより優しくしてなにも怖くないから心配しなくていいよといい、健康であることに感謝しながら、粛々と日常生活を営みます。」
氏のツィートに大いに賛同する。

今回の演奏会の詳細は以下の通り。

2011年3月12日(土)16:00開演 [会場]愛知県芸術劇場コンサートホール

[指揮]小泉和裕

[曲目] モーツァルト:交響曲第36番ハ長調 K.425『リンツ』
    ブルックナー:交響曲第3番ニ短調『ワーグナー』[1888/89 ノヴァーク版第3稿]


金曜日午後15時頃から急激に体調が悪くなり、この日帰宅して早々に寝込む。のどが痛く、なんだか熱っぽかった。
翌日もまだフラフラしのども痛かったが、風呂に20分つかり大汗をかいたら何とか復活。強制外部ドーピングが成功した、というわけか。
コンサートに行くことも逡巡したが、家にいてニュースを見ていても、わたしには何かできるわけでもないので、とりえあえず動き出すことにしてコンサートに出かける。

会場に着くと、チケットもぎりのすぐ後ろから、名フィルの団員諸氏が募金箱をもち、今回の地震に際しての義捐金を募っている。わたしは井上氏にの箱に義捐金を入れさせて頂く。あいにく手持ちがなく、少ない金額で本当の申し訳ないのだが、ここでの募金活動が想定外の(大変プラスの意味で)あったので、ここでは気持ちだけではあるが義捐させていただいた。細君は二階のフロアで安土嬢の箱に義捐していた。

演奏が始まる前、演奏する団員諸氏が入場し名フィルから今回の地震で犠牲となった方々に対しての黙祷の協力を求めるメッセージ。当然黙祷させていただいた。

自宅にいてテレビでニュースを見ていただけであったなら、わたしはただ徒に心を痛めて、ただ時間を過ごすだけであったのだが、この演奏会、コンサートに出かけてきたおかげで私は義捐することができ、そして会場にいた多くの方々と名フィルの団員諸氏と哀悼の思いを共有し、祈ることができた。


さて演奏である。

残念ながら今回の演目、モーツァルトそしてブルックナーと、個人的には「天敵二人」である。「よくもこの二人がラインナップに並べたな。俺に恨みでもあるのかい?」というレベルの天敵である。当然だが名フィルが見ず知らずの小生に恨みなどあるわけもないわけだが、もう二人とも小生にとっては大の苦手の作曲家なのである。モーツァルトはまるで「何がよいのかわからない」し(まあ邪魔にはならないんだけど)ブルックナーに至っては「何を聴いても同じに聞こえる」のだ。当然小生の数少ない手持ちのCDの中にはブルックナーはゼロ、モーツァルトはピアノ関連が10枚くらい。我ながら笑ってしまう。

であるので、適切な演奏評はまるで書けない。第一印象のみを記す。

モーツァルト:「ごつい」なあという印象。
ブルックナー:隣のブロック右斜め後ろのおじさんが「大イビキ」をかいていらして第二楽章からそれが気になって曲どころではなくなってしまった。もともと「何を聴いても同じに聞こえる」のにこれではもう「まるでだめお」である。
時々耳についたのは、ホルン、野々口さんが不安定だなあということか。


二曲を通して感じたのは、フィッシャーの時と比較すると「サウンドがモコモコ・モワモワしている。」ということ。モコモコ・モワモワしているので「サウンドが塊」として聞こえてくるので迫力はある。が、どうもすっきりしない。なんだかなあ、という感じであった。
音楽自体も、昨年も同じ事を書いたような気がしたのだが、私はマエストロ小泉氏がどうも苦手。それもあるのだろうなあ。
先月下旬、短期間にフィッシャーを三度も聴いたのであ「あの分離のよいサウンド」がしみこんでしまってなおさらそんな感覚に襲われたのかもしれない。

まるで個人的な推測だが、フィッシャーのブラームスツィクルスに不満を覚えた方々は、もしかしたら「サウンド(パートやセクション)の余りの分離の良さ」のため「塊としての迫力」に欠けるところにあったのではないか。今回のパンフに聴取録を載せていた評論家氏もそこに不満を覚えたのではないか。そんな風に思った次第である。

評論家氏と言えば、まるで見当外れかもしれないが、2階13列30番だったかその隣の29番だったかに、なんだか評論家風の方がお座りになっていた。評論家氏かなあなんて思ってみていたが、ブルックナーでは寝ていたので違うんだろうな。


帰宅して自宅においてあった携帯を見ると従兄弟から着信があった。
仙台市泉区に居住している小生の伯母が避難所にいて無事であるとの報せであった。
小生は14歳で母を亡くしており、それ以来ホントにいろいろと心配してくれている伯母である。
金曜日から全く連絡が取れず、本当に心配であったのだ。
連絡をくれた従兄弟は伯母の三男。埼玉熊谷に住んでいる。彼も心配だったろうな。
避難所にいるため連絡手段は携帯のみ。でも携帯は通話はまるでつながらず、かろうじてメールが何とかつながるのみであったそうだ。
伯母の長男は、伯母とは別居だが仙台に居住しているが、この日は出張で花巻に行っていて仙台に帰宅する手段がなく困っているとのこと。この長男とも時々つながるメールでの連絡のみである。長男の奥さんの実家が松島あたりの海沿いなので、実はかなり心配している。
次男坊も仙台居住。こちらは無事であるとのこと。
また小生の親戚の多くは青森県むつ市に居住しているのだが、停電には閉口したが無事であるとのこと。

いろんな意味で、今回の名フィルの定期演奏会に行って良かったと思う。
義捐することができたし、多くの人々と思いを共有することができたし、「フィッシャーの名フィル」についても思いを巡らすこともできた。モーツァルトとブルックナーはやはり苦手だということも再認識することができた。

私は明日からも、懸命に自分を生きようと思う。それしか私にできることはない。
仙台の避難所にいる自分の伯母のもとにさえ駆けつけることもできない。いまは励ましの言葉すらもかけることすらもできない。

だけど、いやだからこそ、私は自分自身を懸命に生きることがベストだと思うのだ。
そしてできる限り最大限の金額を準備して、被災した地域に役立ててもらうつもりだ。

踏ん張ってくれ、我が故郷東国。私の心はあなたたちと共にある。頑張ってほしい、踏ん張ってほしい。

けっぱってけろじゃ!!わぃはわぃでけっぱるして、などもけっぱれ!


【No title】
おはようございます。
まさに同じ事を思っておりました。<「有効と思われる情報をRTし、デマや煽動を避け、目にあまれば指摘し、きちんとした額の寄付金を準備し、ここ数日の異変で情緒不安定になっている子どもたちに、いつもより優しくしてなにも怖くないから心配しなくていいよといい、健康であることに感謝しながら、粛々と日常生活を営みます。」

幸いにして被災しなかった我々は、変に浮き足立つことなく、被災者の方々の強さを信じ、淡々と、出来る限り平穏に日々を過ごし、そして、もし、被災者の方々から直接、助けの要請がきたら、そのとき自分に出来る限りの事を躊躇なく行う、それが全てだと常に思っております。
(えらそうなこと書いてすみません)
【Re: No title】
ありがとう、くうちゃん。

> おはようございます。
> まさに同じ事を思っておりました。<「有効と思われる情報をRTし、デマや煽動を避け、目にあまれば指摘し、きちんとした額の寄付金を準備し、ここ数日の異変で情緒不安定になっている子どもたちに、いつもより優しくしてなにも怖くないから心配しなくていいよといい、健康であることに感謝しながら、粛々と日常生活を営みます。」
>
> 幸いにして被災しなかった我々は、変に浮き足立つことなく、被災者の方々の強さを信じ、淡々と、出来る限り平穏に日々を過ごし、そして、もし、被災者の方々から直接、助けの要請がきたら、そのとき自分に出来る限りの事を躊躇なく行う、それが全てだと常に思っております。
> (えらそうなこと書いてすみません)
この記事へコメントする















09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
メールなどはこちらから。

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。