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昨日アップした名フィル第369回定期の聴取録、その2です。残るはメインのショスタコーヴィッチ交響曲第5番。

休憩中、あまりのラヴェルの不満さに嫁さんにぶーたれ、ロビーをうろうろしていたら知人に会い、その知人にもぶーたれてしまっておりました小生。
鬱々とした気分、いまいち集中力を欠いた心持ちで後半を待っておりました。

開始一発、あら音が違うじゃないの!集中力と緊張感に満ちあふれた響き。
休憩中までのぶーたれはどこへやら。すっかり演奏に引き込まれた小生でありました。

前日に聴いていた小生の友人からは、「一・三楽章は弦の音程がいまいちだったかな」なんて聞いていたのですが、なんのなんの。この日は、時々フレーズの弾き終わりにやや?な部分は感じられましたが、音程そのものはあまり気にならず。
小生は音程よりも中低弦の音量のなさに不満が募りました。特にチェロ。
この点については、小生たびたび名フィル聴取録で不満を漏らしているのですがこ今回の演奏でも同様。
今回の演奏ではトラも入り増員もしていたのですが、しかし鳴らず。
ショスタコのこの曲でチェロの音量不足は致命傷。
コントラバスが大健闘で鳴らしていたのを聴くとどうにかならないものかと感じてしまいました。

終楽章、フィッシャーはそのテンポに驚くかもねとコメントしておりましたが、そのテンポ設定は小生にとっては「まああるだろう」というものでした。それよりもテンポ設定で驚いたのは二楽章。速めのテンポでまいていき、そして「ためる」。このコントラストが効き、この楽章の特徴である「アイロニー感」を浮かび上がらせておりました。

今回、このショスタコの5番では「音楽の溜めと解放」が強く印象に残りました。
これだけ溜めると、バーンスタインなら次の瞬間に「ドン」と指揮台を踏みならしたり、唸り声が入ったりするんだろうなあ、なんてNYPとバーンスタインとのショスタコ5番東京公演録音を思い出したりしながら聴いておりました。

この演奏ではホルントップは水無瀬氏。そつなく吹いておりましたが、その「そつの無さ」に不満を覚えてしまいました。もうちょっと何とかならないかなあ、という不満。まあピッチが低いとか、まるで当たらない、なんていう不満ではないだけましといえばましなのですが。

さてバーンスタインではありませんが、フィッシャーもやりました。
終楽章冒頭、指揮台の上で「跳ねました」。これにはビックリ。
実は3楽章と終楽章の間、というより終楽章開始直前に客席最前列の観客が退出していくのが目に入り、小生の集中力がそがれていたので余計にビックリしたのです。

さてその終楽章の導入部、先ほども書いたようにテンポは速かったですが、小生にとっては予想の範疇内。
前出のバーンスタイン盤よりも少々速いか、という印象。
終楽章を計時していたのですが、10分53秒(アナログクロノグラフですので誤差はありありです)で、バーンスタイン盤は10分13秒。バーンスタイン盤よりも遅いんですよね、この楽章全体では。この原因はフィッシャーが描く「コントラスト」にあります。フィッシャーは終結に向かって直線的に進のではなく「溜める」のです。
強弱で溜め、速さと遅さで溜める。
速い部分を強調することによって生まれる「溜め」の効果。この効果により、この曲をより深く造形する。
対比が強調されることによってこの曲の持つ「闇」の部分を浮かび上がらせる。
光が明るければ明るいほど、まぶしければまぶしいほど、それが作り出す闇は深い。
この曲は「光まぶしい」けれども、そして我々はついつい「光のみ」を注目しがちですが、この曲の真骨頂は光によって目くらましされている「闇」。
フィッシャーはそれを表現しようとしたかったのではないか。そんなことをこの演奏から感じました。


なんだか長くなりましたし、文意が支離滅裂になってまいりましたので、この辺で終了しましょう。

このショスタコ、「普通」ではありましたが、好演でした。良かった良かった。




【いつものフィッシャー氏だった】
毎度お馴染みの見通しの良い演奏で、充実したものだったと思います。

私も終楽章のテンポには驚かなかったけれど、アッチェレランドにはちょっとビックリ・・・どこからアッチェレランドするかは議論があるけれど、8小節目からが多いのに4小節目からだったから、フィッシャー氏の解釈なのでしょう。
ご指摘のように開始のテンポを基準にするのではなく、テンポの対比を強弱の対比と重ねてましたね。
コーダを冒頭とは違う中庸のテンポで堂々と締めたのがまた見事でした。

第3楽章での弦のパワー不足は残念で、16型でも8声部になると非力さが露呈してしまうのは今後の課題だと思います。

終りよければすべてよしではないけれど、久しぶりのショスタコーヴィチ5番で充実感があったのでよしとします。
【Re: いつものフィッシャー氏だった】
この日のフィッシャーの演奏、「スコアと素直に向き合えばこんな音楽になる」というものだったんじゃないかなあと感じておりました。(本記事中には書き漏らしたのですが)
無理矢理の我田引水を強行すると(苦笑)フィッシャーはショスタコ5番を「対比の妙」が核心ととらえたのでは・・・なんて想像して自己満足をしている小生です。
その「対比の妙」を、深読みしたがる聴衆が「アイロニー」とか「勝利」とか「諧謔」とか云々・・・と文学的な要素でそれぞれ「勝手」に理解し納得する、なんて書くと大げさすぎますね。

なんにしろ良い演奏で何よりでした。ブラームスが楽しみです。

> 毎度お馴染みの見通しの良い演奏で、充実したものだったと思います。
>
> 私も終楽章のテンポには驚かなかったけれど、アッチェレランドにはちょっとビックリ・・・どこからアッチェレランドするかは議論があるけれど、8小節目からが多いのに4小節目からだったから、フィッシャー氏の解釈なのでしょう。

> ご指摘のように開始のテンポを基準にするのではなく、テンポの対比を強弱の対比と重ねてましたね。
> コーダを冒頭とは違う中庸のテンポで堂々と締めたのがまた見事でした。
>
> 第3楽章での弦のパワー不足は残念で、16型でも8声部になると非力さが露呈してしまうのは今後の課題だと思います。
>
> 終りよければすべてよしではないけれど、久しぶりのショスタコーヴィチ5番で充実感があったのでよしとします。
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