2010 / 04
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本日4月17日土曜日、
我が名フィルこと名古屋フィルハーモニー交響楽団の第368回定期演奏会「プラハ」を聴いてまいりました。

会場は愛知県芸術劇場コンサートホール。
指揮は小林研一郎。
曲目はスメタナ:連作交響詩『わが祖国』全曲
コバケン掌中の一曲。


小生、名フィル/コバケンでこれを聴くのは11年ぶり。
前回2006年定期は母死去のためチケットを友人に進呈して聴けませんでした。


さて箇条書き風に小生の印象を記しましょう。

その1:この曲は全曲聴かなきゃ意味がない。
今回聴いて、あらためてこの印象を強く持ちました。いやいや今回のパンフを読んで、でしょうか。
冒頭のハープの和音が「B♭→E♭」であるということ、それがスメタナ自身の名前の暗喩であるということ。
小生これまでまるで気がつきませんでした。

冒頭から終曲まで、くどいほど出現するこのテーマ。
ただ単にヴィシェフラドのテーマ」とうだけではなぜ何度も何度も出てくるのかいまいち理解不能。
小生、受け身な性質でして「ああこんなモンなんだ」とまるで何も思わずのんきに聴いていたのですが、これが「スメタナの自分自身の暗喩」であるとすれば、「非国民的な批判・社会的批判を受け、聴力までもを失った」スメタナが作曲したこの「わが祖国」において(パンフにもありましたが「我が」祖国なのです、この曲は)「スメタナのテーマ」が繰り返しあらわれる必然性が理解できるというモノです。

特に、終曲ブラニークの最終部にてフス教徒賛美歌「汝ら、神の戦士よ」・・・これはチェコのチェコたる神髄の曲です。ヤン・フスがどれくらいチェコ人にとってアイデンティティを掻き立てるものか・・・このテーマが「スメタナのテーマ」により止揚される必然性が、文学的理由ではありますが、彼にとって最も重要であったろうということが非常に理解できるものというわけです。今回名フィルを聴き強くそれを実感した次第。

その2:コバケンは名指揮者である。
お世辞もごますりもはったりも皮肉も無しにです。
今回聴きまして、名フィルの技量が格段に進歩していることを実感しました。
前回11年前は各パートが何をやっているかなんてまったくわからず、だけれどのそのことが「学生オケ」みたいに「集団の力・固まりの勢い」となってある種の感動をもたらしたのは事実です。
ところが名フィル、フィッシャー効果だと小生は思うのですが、むっちゃ分離が良くなっていました。
「おお?そのフレーズってそんなリズムだったのかい」とか「こんな音が鳴っていたっけ?」ていうのがあることあること。その結果コバケンのやりたいことがようやくわかってきたような気がします。

しかし、しかし。
我が愛すべき名フィル、まだまだコバケンの要求に応えきれておりませんね。そんなことさえ感じさせる名フィルの何という進歩!!
今回コバケンのやりたいことと名フィルの技量がシンクロしたのは終楽章だけでしょう。
その終楽章、鳥肌が立つくらいの素晴らしい演奏。もの凄い出来でした。

さてコバケン。かれがオーケストラビルダーではないことも今回聴いて「やっぱりな」とかんじました。
マエストロコバケン、音楽的な事にはうるさいのでしょうが、オーケストラの基本的な技量は:たとえば音の処理とか弱音になったときのピッチ、あるいはその逆の強音でのピッチとか等々:音楽以前に「出来て当たり前」と思ってるんだろうなあと感じたのです。つまり今回の名フィルの演奏ではそんな課題が「まだ」未解決のまま散見されました。

名フィルにはフィッシャーのような「耳の良い」「(おそらく神経質なくらい)自分自身の頭の中の音との一致を求める」指揮者がまだまだ必要な段階なんだ、と実感したのでもあります。
(フィッシャーについての記述はこれまでの演奏を聴いての小生の100%の想像です)

コバケンは技量が整ったオケでやったら凄いんだろうな、というのはチェコフィルで証明済みではありますが、しかし今回の演奏、音楽的には「プラハの春」を凌いでおりました。
いわゆる「コバケン節」が影を潜め、全くないわけじゃあないんですが、それが感じられないほどに彼の音楽が昇華されていたように小生は感じました。

その3:管楽器の本数増やして音が濁った
もう勘弁してください。

その4:安土嬢、ブラヴォ!!
ホルンの安土さん。たしか下吹き(つまり2・4吹きですな)で入団したはずなのに、今日はトップじゃないですか。しかもブラヴォな出来。小生が聴いたこの日は一カ所だけミスったところ=下降音型が詰まってしまいその影響で次のフレーズに必要以上に力が入ってしまったように感じられた箇所=がありましたがもう絶品でした。経験を積んでいったらいったいどんなにすばらしいホルン吹きになることやらと期待値がマックスになってしまいました。

そんなわけで、良い演奏を聴き帰宅し、気持ちよく酔っぱらってしまったのでこの辺で。










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久しぶりに矢野顕子が聴きたくなった。
春の陽気のせい・・だろうか。


pianonightly.jpg

取り出したのは「PianoNightly」

これは名演だなあと思う、クラシックじゃないけどね。
クラシックじゃないけれど矢野顕子女史のピアノ一本と彼女の歌のみのシンプルな演奏。

歌われているのは彼女の「琴線に触れた」歌ばかり。
「虹が出たなら」「恋は桃色」「突然の贈りもの」は絶品である。

録音もバランスも音色感も抜群、と思って今更ながらクレジットを確かめたら
エンジニアはあの「吉野金次」氏ではないの。
だったらこの出来は「当たり前」だなあ。
(吉野金次さんに興味を持たれた方はこちらをご覧下さい。「ほぼ日 音楽堂」へ飛びます)


一聴の価値ありのアルバム。

四月病。

とりあえず「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」上巻は読了。
この先が問題なんだよな。意志力と克己心が持つかどうか。
なかなか維持できないのが「四月病」たる所以。

しかし下巻が真骨頂なんだよな。むっちゃおもしろいんだ。
頑張るぞ。


窓の外でツバメが鳴いてる。もうきたか、と覗いてみる。

いた、いた。
日差しも暖かいし、いい日だなあ。

四月病。

四月になると無性に「なにか新しいこと」を始めたくなる。
四月になると無性に「今年度は頑張るぞ」と思ってしまう。

桜の花色がそんな気分にさせるのか、ただたんに幼少の頃からの刷り込みのためなのか。


四月病に今年も罹患。

今年の症状は、学生時代に読んだ本を読み直すぞ、というもの。

まず手始めにマックスウェーバー。
honn.jpg

「プロ倫」を読み直そうかな、という初期症状。
写真中の「プロ倫」なぜか3冊ありますが、うち1冊が学生時代に読んだもの。なぜか上巻だけしか手元にない。
残りの2冊が5年くらい前に古本屋で買い求めたもの。
ついでに読むかというモノが「職業としての政治」。

みごとに読破し四月病が成就しますかどうか・・・・・

細君が「国産のあさりむき身が売ってた!」と狂喜乱舞して帰宅した。
その夜、彼女はあさりむき身に串を通し「串あさり」を作成。

翌朝から、その「串あさり」を干す。

asarihikusi.jpg

正式な方法(笑)ではないが、天日干し。

干しあがったら、美味い「あさり串」となる。
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