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昨日「太陽を盗んだ男」を見てきた。場所は一昨日に引き続いて名古屋のピカデリー1。

taiyouwonusunndaotoko.jpg

こんなにおもしろい映画だったとは!というのが見ながらの感想。
これまで見たのは大昔に、水曜ロードショーだったかなあ??なんかで「ながら見」。
真剣に見たことがなかった。

見終わっての感想は、「邦画にしてはめずらしい"映画らしい映画"」。
あり得ないだろうシチュエーションをあり得るように撮りあげてある。
虚構の作り上げ方が抜群に上手い。虚構と現実の入れ混ぜ方が絶妙。
全編を貫く泥臭くなく、かび臭くなく、湿っぽくないタッチ。

一昔前までは「カルト」と括られたこの映画。括る側の認識を写しだしておもしろい。
今見たら、少々古くささは感じられるけど「痛快アクション映画」
ハリウッド映画「スピード」なんかに対抗できるんじゃないだろか、とさえ思う。
(引用が「スピード」なんてのが小生の限界を写しだしているわけでして・・・(^^ゞ )

昨日、大スクリーンで見て、ホントに良かった。


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名古屋駅前の映画館、ピカデリー1・2・3・4が閉館するという。
閉館記念、とは寂しい限りだが、ピカデリー1で「サヨナラ興業」を行うという。
このニュースを知り、上映プログラムを調べると
「アラビアのロレンス」「ローマの休日」「七人の侍」などのいわゆる「名画」がラインナップされている。

おおっこれだけは見なくてはと思ったのが
「アラビアのロレンス」「七人の侍」「怪獣大戦争」そして「太陽を盗んだ男」。
しかし「七人の侍」は月曜日じゃないの・・・ということで無念の断念。
この月曜日、何がどうあっても仕事を休むわけにはいかないからなあ。実に無念。

ということで残りの3本は絶対見るぞ!と昨日「アラビアのロレンス」を嫁さんと見に行った。
お代は500円也。
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「アラビアのロレンス」作品自体ももちろん大好きなのだが、
なんといっても超ロングショット、砂漠の彼方からロレンスがらくだに乗ってあらわれる、
最初はまるで芥子粒のような大きさから・・・・というシーンをスクリーンで見たかったのだ。
ピカデリー1はスクリーンサイズ6.20×15.00(メートル)座席数600の大劇場。
アラビアのロレンスはCinemaScopeの70㎜。
この「でかいスクリーンでこそ栄える」映画だと小生は思う。
超ロングショットの場面は、いくらでかいサイズのテレビでも「液晶抜け」にしか感じられないような場面。

実際に大スクリーンで見てみると、然り!!とうなる。
大画面であることを前提として撮った場面・映画であることを納得。
大堪能。

その後入れ替え制で「怪獣大戦争・宇宙からのメッセージ」が上映される。
嫁さんはここで帰宅。小生残り、弟と待ち合わせして「怪獣大戦争」を見る。
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なんで「怪獣大戦争」を見るのかって?
大スクリーンでゴジラやキングギドラを見るのももしかしたら最後かなあ、なんて思いましてね。
いや、これもおもしろかったです。
そうかあ、この時代は近未来をこんな風に思ってたんだあ、なんて変なとこで感心しちゃいました。

今晩は「太陽を盗んだ男」を見に行くぞ!
ホントは二本立てのもう1本「網走番外地」も見ようと思ったんだけど、いまいち体調が悪いからなあ。



帰宅すると妻が「Field Of Dreams」を観ていた。NHKBS2。
中途からの映画鑑賞。

この映画、妻は封切りで観たらしいが、僕は封切りを見ることができず、後々にビデオで観た。
そのときは「信じることの大切さ」とか「希望をあきらめるな」とか描いてるんだろうなとか思ったり
はたまたラストのキャッチボールシーンとかそんなことに感動してた。

ところが、今日、一番印象的だったのがテレンス・マン(←サリンジャーをモデルにした役だそうで)の台詞。

「アメリカという国はいろんなものを壊しては作り、作っては壊してと急速に変化してきたが、
 ただ一つベースボールだけは変わらずに残っている」

単純にとれば単純だけど、考えようによってはすごく含蓄があるよな、なんて感じ入ってしまった。

まだアメリカに夢と希望を持っていたウブだった頃と、
アメリカに夢も希望も抱いてないすれっからした現在の僕の違いなんだろうな。

しかし、こんな大人のファンタジーをいまのハリウッドは作れないよなあ。


「私たちの人生にはたくさんの困難がある。
 お金とか服とか車とか、形あるものに心のよりどころを求めようとするが、
 そういうものが満たしてくれるのは、ほんの一部。
 目に見えないもの
 -誰かの思いとか、光とか風とか、亡くなった人の面影とか-
 私たちはそういうものに心の支えを見つけたときに、たった一人でも立っていられる、そんな生き物なのだと思います」

「萌の朱雀」を撮り「殯の森」を撮った河瀬直美氏の
「殯の森」グランプリ受賞時の挨拶だそうである。

「萌の朱雀」も良かった。

そして、こんな素敵な挨拶をする現在の彼女の作品を是非見ようと思う。

残念ながら、29日は仕事でテレビの前に座ることができない(泣)

でも、ね、スクリーンで見なきゃね、映画は。




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この映画は三人の映画監督による共同作品。
同じ列車で展開される「三つの物語」が紡がれております。
それぞれ別のお話ですが、通底に流れるテーマはあるように感じました。

最初のエピソードはイタリアの映画監督エルマン・オルミによるものです。
イタリアらしく、と括ってしまうのことはイケないのでしょうが、
老教授の中に去来する「エモーショナル」な心の動きが描かれています。
このエモーショナルさがこのエピソードの鍵になると見ていて感じました。
「イタリア人らしく」(笑)自分を世話してくれた美人秘書にほのかな恋心を抱く・・・
生物学の教授という「お堅い」世間体のために、よりいっそうエモーショナルな心の動きが鮮やかに印象づけられます。
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彼が乗っている食堂車の他の乗客の皆様方も皆「エモーショナル」な方々ばかり。
ヘッドフォンの音楽とスコアに合わせ「空気指揮(エアーコンダクト)」をひたすらしている乗客や、
新聞を読みながらひたすらビリビリと破り捨てていく方。
皆「こころのうごき」に素直な人々です。

そんな場所に出現するのがエモーショナルさのカケラを感じさせない、
いやエモーショナルという動きを殺すことによってこそ能力が発揮できる「軍人」さん達です。
軍曹?(この想像は怖い軍人=鬼軍曹という僕の先入観で書かれています 笑)はどっかと老教授のテーブルに腰を下ろします。

軍曹はドリンクを配って歩く給仕のサービスににべもなく「No」

先ほど書きました列車の乗客が過剰にエモーショナルな方々に描かれているが故に、登場した軍人の「非エモーショナル」性が極だって印象づけられます。

「エモーショナル」な心の動きとは何か。とってもベタな換言ですが、それは「人間性」ではないでしょうか。

「人間性」と「非人間性」の対比。このオルミ監督の担当したエピソードには、それが根底に流れているように感じました。

このエピソードの最後に、それが形となって現れます。
「なにやら事情ありげな家族」の若いお母さんがやっと手に入れたミルク用のお湯、それを使ってまさにミルクが完成したときに軍曹がそれを蹴散らしてこぼす・・・
彼が言った言葉が「ジャマだ、こんなとこいるな、身元は調べたのか?」
非人間性が圧倒的に印象づけられる場面です。

その、余りにも非人間的なその行為対する乗客達の「エモーショナル」な動きが表情となってスクリーンに映し出されます。
おそらく見ている僕もそんな表情していたんだろうな。

軍曹は何事もなかったようにテーブルに着き、そうなんです、彼にとっては「何事もなかった」のです、任務を進めて、仮眠をとってしまいます。

老教授は給仕に、ミルク、温かいミルクをリクエストして、それを先ほどの若いお母さんの所へ運びます・・・・
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このシーンでオルミ監督のエピソードは幕を閉じます。

声高に軍曹-彼に象徴される「軍」という存在-の非人間性を叫ぶことなく、最後のシーンでそれをきわめて静謐にそして圧倒的に印象づける。そんな手腕に感服いたしました。

静謐と書きましたが、このオルミ監督のエピソード、全体を通じて極めて「静謐」なのです。「静かなる者は遠くまで行く」という格言がありましたが、静謐なるが故に奥深くまで浸透する。そのような映像でした。
そしてこの「静謐さ」は最後のケン・ローチ監督のエピソードととっても良い対照をなすものでもあります。


二つめのエピソードはアッバス・キアロスタミ監督。
青年と老婆が主人公となります。
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二人が登場する最初のシーンから老婆の傲岸さが垣間見らるエピソードが描かれます。
そして彼女の傲岸不遜・天動説的な性格はシーンが進むにつれてより鮮明となっていき、見事にカリカチュアライズされたその強烈なキャラクターには思わず顔を背けたくなるほど。

青年は息抜きにカフェテリアに行き(そこには次のエピソードの主人公達がたむろっている!)、トイレに逃れ、二人の少女に出会います。

しかしなあ・・・この老婆と青年はいったいどういう関係なんだろう?

この少女との会話によって青年の事が明らかになっていきます。
青年が兵役義務の最中であること、老婆は亡き将軍の妻で青年は兵役義務の一環として彼女をお世話していること、少女と青年が同郷であること、青年に妹がいること、
青年には恋人がいたこと、その彼女ががローマで歯科医をしていること、青年の父が死んでいること、青年が父の葬儀に参列できなかったこと・・等々
この手法はとっても「キアロスタミ」ですよね。

そしてこの少女のと会話は老婆が青年を呼びつける、叫びともいえるベクトルを持った声によって、たびたび中断されます。

少女との会話の最中、とっても柔らかな、澄んだ目をした青年。
老婆に理由なく罵倒され、やるせない表情を見せ、とてもうつろな目をする青年。
この二つの表情のギャップが見る者を切なくさせます。

最後に青年は「ぶちぎれて」老婆を捨てて姿をくらまし、老婆は(彼女は最後まで傲岸不遜だった)列車を降りて
一人ぽつんとプラットフォームに座っているシーンでこのエピソードは幕を閉じます。
プラットフォームに一人残る、この老婆を追うカメラの視点は、
青年とおしゃべりをしていた少女のそれです。
彼女は老婆に何を見るのでしょうか。
プラットホームに座り込んだ老婆は遠い目をして列車を追い、そしてあらぬ方向に視線がさまよいます。
老婆は何を見るのでしょうか。

このエピソードで描かれていた老婆のキャラクター、とても短絡的ですが、やはり「非人間的なモノ」と結びつけてしまいます。
それはこのエピソードの場合、それは軍であったり(亡き将軍の妻)、階級であったり(将軍の妻という階級)するわけですが。

そして「同郷」の「幼なじみ」と言える少女との会話によって「人間らしい」表情を取り戻す青年。そして彼はどこかに消えちゃう・・・

なにか後を引くモノがすーっと二本くらい残る、やっぱりキアロスタミらしいエピソードであったと思います。

三つめのエピソード。ケン・ローチ監督のエピソードです。
三人のセルティックサポーターが主人公です。
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すんげえ訛りのある英語で、最初は何語で映画が進められているか??状態だった私。
それが英語だとわかったのはしばらくたってから。。。ってくらいのスコットランド訛り(なんだと思います)のある英語で猛烈な勢いで喋くりまくる三人。
もう映画のリズムが、空気がスッカーンと変わります。見事な転回。見事な転調。

そのリズムに乗った彼らの、条件反射にも似た皮膚感覚的思考・行動がこのエピソードの鍵になります。

僕にとっては、その皮膚感覚がうらやましくもあります。
僕はサンドイッチ分け合って食べてるのを見て、スッとあげに行けるか?
僕はきれいなお姉ちゃんにを素直にナンパできるか?
僕は困ってる家族の話を聞いて素直に同情できるのか?
そして「替わりに罪を肩代わり」できるのか?
彼らにとってすべての事柄は「同列」です。それは彼らがセルティックを応援するくらい自然で、「深く考える必要のない」ことなのです。
切符を盗られて勘が働くのも、瞬間湯沸かし器のように怒りまくるのも、そして、つい罪をかぶってしまうのも、みんな同じ線上にあるのです。
いやいや同じ線上になければできないでしょう。
果たして僕は。。。という事を自然に考えちゃうくらい、主人公達は軽やかに描かれているのです。

あまりにも分別くさく、慎重に、立ち止まって、もっともらしく考えるが故に(ってたんに優柔不断なだけなのですが)
なにか失ってるモノがないかしらん。。。。。
そんなことさえ考えちゃいます。


最後は大団円。

列車はローマに到着し、三本のエピソードは結ばれてます。
彼らが罪の肩代わりをしたのは教授がミルクをあげたあの家族。
無事に父親と再会します。

消えたはずの青年も列車から降りてきて、まっすぐ前を見つめて、まったくぶれることなく歩いていきます。
彼はローマに、そう彼女のいるローマで降りるのです。

罪をかぶった少年達は・・逃げるんです。どんどん走るのです。どんどんどんどん加速します。希望に向かって、幸福に向かって・・・という感じなのでしょうね
このスピード感は、未来へ向かう希望のスピード。
見ている僕の感情もスピード感に乗っていき、そして映画は幕を閉じます。

この映画もう一度みたいなあ。。そんな幸福感を味わえる映画でした。

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